シンプルな暮らし(をしたい)ブログ

シンプリストを目指す38歳OLのブログです。

【お出かけ】小田原にある遺跡のようなランドスケープ『江之浦測候所』

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こんにちは、mikeです。

杉本博司さんが設計した、小田原にある『江之浦測候所』へ行ってきました。

 

江之浦測候所 Webサイトはこちら

www.odawara-af.com

 

 

行き方

東海道線根府川駅下車→送迎バス(無料)で江之浦測候所へ。

午後の部13:30〜を予約していました。

送迎バスは13:15に乗りました。(予約時に送迎バスの時間も決めるようです)

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広大な敷地を歩き回る

夏至光遥拝100メートルギャラリー

海抜100メートル地点に100メートルのギャラリーが立つ。100メートルの構造壁は大谷石の自然剥離肌に覆われ、対面の硝子窓は柱の支え無しに硝子板が37枚自立している。屋根は軽量化を図った片持ちの屋根で、ギャラリーの先端部の12メートルは海に向かって持ち出しとなって、展望スペースが併設される。夏至の朝、海から昇る太陽光はこの空間を数分間に渡って駆け抜ける。

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ファッションブランドsacaiのファッションショーのランウェイになった場所です。

www.fashionsnap.com

 


冬至光遥隧道

一年で最も日照りの短い日。冬至は一年の終点であり、また起点である。この特別な1日は、巡り来る死と再生の節目として世界各地の古代文明で祀られてきた。日が昇り季節が巡り来ることを意識化し得たことが、人類が意識を持ち得たきっかけとなった。この「人の最も古い記憶」を現代人の脳裏に蘇らせる為に、当施設は構想された。冬至の朝、相模湾から昇る陽光は70メートルの隧道を貫き、対面して置かれた巨石を照らし出す。

止め石のところまで歩いてOKです、足がすくんで一瞬で逃げてまいりました…;

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みかん道から見上げると、空中に突き出ています。

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光井戸

冬至光遥隧道の中程に位置する井戸。井戸の中にはガラスの破片が敷き詰められており、雨天時、雨粒の一滴一滴が井戸に降り注ぐのが確認できる。

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古代ローマ円形劇場写し観客席

イタリア、ラッツィオ州のフェレント古代ローマ円形劇場遺跡を実測し再現したもの。

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円形石舞台

中央の石:大名屋敷の大灯籠を据えていた伽藍石

放射線状に並べた石:京都市電の敷石

周りの巨石:江戸城の石垣のために切り出された石

 

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日吉大社礎石

比叡山の地主神である日吉大社の旧神宮寺跡にあった礎石に水鉢の穴を彫ったもの。

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内山永久寺十三重塔

内山永久寺は大和の古社、石神神宮の神宮寺で平安末期に建立された大寺だったが、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃寺となった。

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旧奈良屋門

箱根宮ノ下にあった名旅館「奈良屋」の別邸に至る門。平成13年(2001)の廃業に伴い箱根町より小田原文化財団に寄贈された。

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鉄宝塔

木造の宝塔を模して鉄で造った宝塔。その形状から西大寺の系統に属する工人の作と推定される。

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鉄灯籠

内山永久寺十三重塔と共に発見されたもので、永久寺にあったものと推定される。この鉄灯籠も作例から、桃山期の灯籠と推察される。

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明日香石水鉢

明日香石に南北の刻印があり、発見時には二つに割れていたものを継いで茶室「雨聴天」の蹲(つくばい)として据えた。刻印通りに南北の軸線に沿って設置されたが、意味と目的、何故割れているかは不明。

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茶室「雨聴天」

千利休作と伝えられる「待庵」の本歌取りとして構想された。「待庵」は千利休の目指した詫び茶の一つの完成形と目されている。それは二畳室床(むろどこ)という極小空間の内に、壁面の小舞の窓から差し込む光の陰影の中で、見事な空間が構成されているからだ。当時使われた素材は銘木でもなく有り合わせの材であり、壁も質素な土壁だった。そこでは意図的に山居に籠る聖のような「貧」が演出された。この待庵の寸法を一分の違いもなく写した。

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茶室には春分秋分の陽光が日の出と共に床に差し込む。その時、光学硝子の沓脱ぎ石は光を受けて目眩く輝く。

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藤棚

竹林エリアへと誘う門を兼ねて藤棚とした。

巨石をテーブルとして休憩スペースのようにもなっています。
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下石窟(かせっくつ)

ウミユリ
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上段左から

  • エイ
  • ベービーエイ
  • エビとロブスター
  • 鳥足跡

 

下段左から

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上段左から

  • ベービーエイ
  • エビとロブスター
  • 鳥足跡
  • 海サソリ
  • 両生類
  • 二匹の亀

 

下段左から

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上から

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三葉虫
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アンモナイト
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道具たちとジュースの瓶
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持ち主は井上さんでしょうか

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秀吉軍 禁令立て札
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石棒

石棒は縄文時代後期になると次第に県の形になって石剣とも呼ばれるようになった。しかし、剣としての実用性はなく祭祀としての用具と考えられる。ガラスの社を作りお祀りした。

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磐座

化石窟と命名された旧蜜柑小屋を整備している最中に小屋裏から発掘された。

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数理模型0010 負の定曲率回転面

数学上の双曲線関数を目に見えるように模型化した。この模型の基壇として反射望遠鏡の為に作られた光学硝子を置いた。

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五輪塔

大分県国東半島は修験道の令状として古代から知られ、山中には多数の石塔が残る。この五輪塔は中でも大型で、軟石の石肌は苔むしている。

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片浦稲荷大明神

石造稲荷神社は享保12年(1727)武蔵國 豊島郡渋谷村の銘があり、現在の渋谷付近にあった稲荷社と思われる。四匹の狐も当時のもの。

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出湯仏 三体

新潟県の五十公野山(いじみの)を横断する峠道の造成工事中に出土した石仏群の一部。

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石造狸

信楽焼きの狸の石で造形したもので、珍しい。酒を左手に提げている。

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被爆宝塔塔身

昭和20年(1945)8月6日、広島原爆投下時に爆心地近くにあった石造宝塔の塔身部分。屋根の部分は熱線と放射線により瞬時に破砕されたと思われる。斜め上方からの被曝により片側の石の表面が大きく損傷を受けている。原爆の破壊力の凄まじさがこの石に刻まれている。

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春日社&参道
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京都五条大橋礎石

村野藤吾設計で昭和16年(1941)に京都東山に竣工した「比燕壮」の玄関庭石として据えられていた。

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竹林エリアの眺めおまけ
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円形観客席付近からの眺め

実物は画角に入りきらなかった左右も海です!

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帰りも送迎バスで根府川駅まで。
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最後に

この日は雲が多く、たまに青空が覗いていました。

 

日が落ち始め空がピンク色に染まると、雲の切間から光が差し込んで天使の梯子ができていました。夕日に染まる空、差し込む光、水平線…景色が美しく、心が洗われるようでした。

 

杉本博司さんはインタビューで「時が経過し、移籍になるようなものを作ろうと思った」と仰っていました。遠い未来の人たちがここに立って、現在に思いを馳せている様を思いました。

 

私の語彙力ではこれが精一杯ですが、言葉に表せないようなものを表現する手段を持っている人(杉本博司さんのような)を羨ましく思います。作ってくれてありがとう!と思ったのでした。

 

のちに思い出したのですが、数年前、恵比寿の写真美術館(だったと思います)で杉本博司さんのこのランドスケープの写真を目にしていました。今、たまたまここに足を運んだのも何かのタイミングかなと感じました。

 

都心からだと日帰りでも行ける場所にあるので、休日足を伸ばして見るのも良いと思います^^

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では、また!

 

 

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